一人では思いつかなかったこと
少しくらいわがままでも、思い描くところから始めていいと、私は思う。
誰に頼まれたわけでもない。人に話しても、どこがそんなに面白いのかと聞かれそうだ。それでも、ふとしたときにまた考えている。こういうことができたらいいな。私なら、やってみたいな。
何かを始めるとき、私にはそのくらい個人的な願いのほうが、かえって頼りになることがある。
面倒なのは、誰かと一緒にやろうとするときだ。
自分ではいい話だと思っているから、相手の返事がそっけないと、つい説明を足したくなる。もう少し話せば、面白さが伝わるんじゃないか。そう思って話しているうちに、相手が何をやってみたいのか、まだ聞いていなかったことに気づく。
相手には相手の考えがある。時間を使いたいことも、引き受けられることも違う。私がやりたいことを話せるように、相手にも、自分のやりたいことを話したり、誘いを断ったりする自由がある。立場が逆なら、私もそうありたい。
そこまで考えると、人と何かを始めるのは、ずいぶん面倒なことに思えてくる。実際、話しただけで終わる日もある。
ところが、ときどき妙なことが起きる。
自分の案を話していたはずなのに、相手の「それなら、こんなこともできそうですね」というひと言が気になって、いつの間にか、そっちの話をしている。相手も話しながら何かを思いついて、また少し話が変わる。さっきまで自分の案を一生懸命説明していた私が、「それ、ちょっとやってみたいですね」と言っている。
私は、そういうときに心が動く。
自分のやりたいことを持った人どうしが出会って、話しているうちに、どちらも思い描いていなかったことが始まる。私が守りたいのは、そういうことが起こる余地なのだと思う。
だから、話がそろそろまとまりそうなときに、誰かが「私はね」と言いかけたら、少し待って、その続きを聞いてみたい。私のほうが、まだ何かを思いつくかもしれないから。

















