歪まない創造

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最近、強く感じることがあります。
それは、「創造」には、 “歪む創造”と“歪まない創造”がある、 ということです。

たとえば私たちは、社会の役に立つこと、意味のあること、正しいこと、誰かに評価されることを大切にしながら生きています。もちろん、それ自体は悪いことではありません。むしろ、多くの人は、誰かのために必死に生きています。 経営者も、NPOのリーダーも、行政職員も、先生も、親も。みんな、本当に真面目です。
でも、ある時ふと、こんな感覚に襲われることがあります。「自分は、何のために生きているんだろう」「ずっと頑張ってきたのに、どこか乾いている」「“正しい”はずなのに、苦しい」

これは、能力不足や努力不足、自分の欠陥でもありません。 “構造”の問題です。
つまり、“自分の生命感覚”よりも、“正しさ”や“役割”を優先し続ける構造の中に、長くいたのです。 すると人は、だんだん「感じること」が分からなくなっていきます。本当は疲れているのに、頑張ってしまう。本当は嫌なのに、引き受けてしまう。本当は違和感があるのに、「意味があるから」と飲み込んでしまう。 その状態で創造を続けると、創造そのものが歪み始めます。 最初は、“誰かを幸せにしたい”だったはずなのに、いつの間にか、“期待に応えなければ”になっていく。 最初は、“心が動いた”だったはずなのに、いつの間にか、“価値を出さなければ”になっていく。 すると創造は、少しずつ苦しくなります。 そして最後には、「こんなに頑張っているのに、なぜ満たされないのか」という場所へ辿り着いてしまう。

私は最近、本当に大切なのは、「何を創るか」より先に、「どんな状態から創るか」なのではないかと思っています。不安から創るのか。承認欲求から創るのか。恐れから創るのか。それとも、“自分自身の生命感覚”から創るのか。

歪まない創造とは、「自分に戻りながら創造すること」なのだと思います。
役割に飲み込まれず、正しさに支配されず、意味に自分を捧げすぎず、ちゃんと、「自分はいま、どう感じているのか」に戻れること。そして、その感覚を置き去りにしないこと。
本当の創造は、無理を続けた先ではなく、“自分自身との関係が回復した場所”から始まるのかもしれません。そして私は、子どもの頃から今まで無意識にずっとずっと探してきていたように思います。 だから私は最近、「もっと役に立たなければ」よりも、「自分の生命が乾いていないか」を大切にしたいと思っています。それは、怠けることではありません。むしろ逆です。 歪まずに生きることは、実はとても誠実で勇気がいることです。なぜなら、“正しさ”よりも、“自分の感覚”を信じる必要があるからです。

でも本当は、生命感覚を失った創造は、長く続きません。 逆に、生命が潤っている人の創造は、静かだけれど、深く届いていきます。 私はこれから、「何を成し遂げるか」だけではなく、「どんな生命状態で創造するか」を大切にして生きていきたいと思っています。 歪まずに。乾かずに。ちゃんと、自分に戻りながら。

  • 2026 05.10
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