一人では思いつかなかったこと(自分らしい創造vsわがままな想像)

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一人では思いつかなかったこと

少しくらいわがままでも、思い描くところから始めていいと、私は思う。

誰に頼まれたわけでもない。人に話しても、どこがそんなに面白いのかと聞かれそうだ。それでも、ふとしたときにまた考えている。こういうことができたらいいな。私なら、やってみたいな。

何かを始めるとき、私にはそのくらい個人的な願いのほうが、かえって頼りになることがある。

面倒なのは、誰かと一緒にやろうとするときだ。

自分ではいい話だと思っているから、相手の返事がそっけないと、つい説明を足したくなる。もう少し話せば、面白さが伝わるんじゃないか。そう思って話しているうちに、相手が何をやってみたいのか、まだ聞いていなかったことに気づく。

相手には相手の考えがある。時間を使いたいことも、引き受けられることも違う。私がやりたいことを話せるように、相手にも、自分のやりたいことを話したり、誘いを断ったりする自由がある。立場が逆なら、私もそうありたい。

そこまで考えると、人と何かを始めるのは、ずいぶん面倒なことに思えてくる。実際、話しただけで終わる日もある。

ところが、ときどき妙なことが起きる。

自分の案を話していたはずなのに、相手の「それなら、こんなこともできそうですね」というひと言が気になって、いつの間にか、そっちの話をしている。相手も話しながら何かを思いついて、また少し話が変わる。さっきまで自分の案を一生懸命説明していた私が、「それ、ちょっとやってみたいですね」と言っている。

私は、そういうときに心が動く。

自分のやりたいことを持った人どうしが出会って、話しているうちに、どちらも思い描いていなかったことが始まる。私が守りたいのは、そういうことが起こる余地なのだと思う。

だから、話がそろそろまとまりそうなときに、誰かが「私はね」と言いかけたら、少し待って、その続きを聞いてみたい。私のほうが、まだ何かを思いつくかもしれないから。

  • 2026 11.05
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