自分の人生の中心には、自分がいる
――他人の人生の中心にまで、自分を置かない
最近、ある言葉が心に残っています。
「自分の人生の中心には、ちゃんと自分がいる。ただし、他人の人生の中心にまで、自分を置かない。」
私はこれまで、人や組織に関わる仕事をしてきました。
経営者と一緒に会社の未来を考える。
地域の人たちと、これからの地域を考える。
学校や教育の現場で、子どもたちの未来について考える。
構造コンサルタントとして仕事をしていると、どうすれば相手が前へ進めるのか、どこに構造上の問題があるのか、何を変えれば結果が生まれるのかを考えます。
それは大切な仕事です。
けれど、その延長線上で、ときどき境界が曖昧になります。相手の問題を、自分の問題のように考える。相手が動かないと、自分の関わり方が足りなかったのではないかと思う。相手が迷っていると、何とか答えを見つけてあげたくなる。
いつの間にか、
「この人がどう生きるか」
「この会社がどうなるか」
「この地域がどうなるか」
というところにまで、自分が責任を負おうとしてしまう。
それは一見、誠実な関わり方のようにも見えます。
しかし、本当にそうなのでしょうか。
相手の人生の主人公にはなれない
私には、私の人生があります。そして、相手には相手の人生があります。
当たり前のことですが、人に深く関われば関わるほど、この単純な事実を忘れそうになることがあります。
相手の人生について考えることはできる。意見を言うこともできる。問いを投げかけることもできる。ときには強く働きかけることもできるでしょう。
けれど、最後に選ぶのは相手です。何を創りたいのか。何を大切にしたいのか。どの道を選ぶのか。その結果をどう引き受けるのか。そこまで私が代わることはできません。
つまり、関わることはできる。しかし、所有することはできない。ということです。
「何を創りたいか」は、一人称の問い
ロバート・フリッツの構造的アプローチでは、「何を創りたいのか」という問いを大切にします。
この問いを考えているうちに、私はあらためて気づきました。
これは、とても強い一人称の問いです。
「世の中はどうあるべきか」ではない。「会社はこうなるべきだ」でもない。「あなたはこうした方がいい」でもない。
まず、私は何を創りたいのか。です。
私は何を見たいのか。私は何を美しいと思うのか。私はどんな仕事をしたいのか。私は誰と関わりたいのか。私は、この限られた時間を何に使いたいのか。
そこには、他人を動かす必要はありません。世界を支配する必要もありません。ただ、自分の人生については、自分が主人公でいる。それだけです。
自分を中心に置くことと、自己中心的であることは違う
「自分の人生の中心に自分を置く」というと、少し自己中心的に聞こえるかもしれません。しかし、私はむしろ逆ではないかと思います。自分の人生の中心に自分がいることを引き受ければ、他人の人生まで支配する必要がなくなるからです。
私は、私の人生を生きる。
あなたは、あなたの人生を生きる。
だから、「あなたのためを思って」という言葉で、相手を自分の期待へ連れていく必要もない。相手が自分とは違う選択をしても、その人の人生として尊重できる。
そして同時に、「あなたが決めることだから、私は何も言いません」と無関心になる必要もありません。言うべきことは言う。必要なら関わる。問いを投げかける。一緒に考える。ときには反対もする。
それでも最後には、あなたの人生は、あなたのものだ。という場所に戻る。
この距離感が、私にはとても大切に思えます。
コンサルティングにも同じことがある
これは、構造コンサルティングの仕事にもそのまま当てはまります。
コンサルタントが、「この会社はこうあるべきだ」という答えを持ってしまえば、その瞬間に会社の中心へ入り込みます。
経営者より先に未来を決めてしまう。社員より先に問題を定義してしまう。そして、「どうすればこの人たちを動かせるだろう」と考え始める。
しかし、本来問うべきことは違います。
あなたたちは、何を創りたいのですか。
私は、その問いを一緒に見ることはできます。
創りたい結果とCurrent Realityの間に、どんな構造があるのかを見ることもできます。
判断基準を整理したり、選択肢を明らかにしたりすることもできます。
けれど、何を創るのかを決めることまで、私が奪ってはいけない。それが、その組織のOwnershipだからです。
「介入しない」のではない
ここで一つ、誤解したくないことがあります。他人の人生の中心に自分を置かないということは、何もしないことではありません。
「本人の人生だから」と言って距離を取ることでもありません。人は互いに影響し合っています。言葉によっても、仕事によっても、関係によっても、私たちは絶えず相手に働きかけています。
だから、介入しないというより、関わる。しかし、所有しない。という言葉の方が、今の私にはしっくりきます。相手の人生を自分の思いどおりにしようとはしない。けれど、出会った以上は、何かを伝えることもある。
一緒に笑うこともある。考えることもある。支えることもある。別れることもある。互いに働きかけながら、それでもそれぞれが、自分の人生を生きている。
そんな関係があってもいいのではないでしょうか。
自分の人生の中心に戻る
人のことを考えすぎているとき。組織の問題を背負いすぎているとき。誰かを幸せにしなければと思っているとき。そんなとき、私はこの言葉に戻ってみたいと思います。
自分の人生の中心には、ちゃんと自分がいる。
ただし、他人の人生の中心にまで、自分を置かない。
そして、自分に問い直す。
私は、何を創りたいのか。私は、何を見たいのか。私は、何を大切にしたいのか。
誰かを動かすためではなく、自分自身の人生を創るために。私は私の人生を生きる。
あなたはあなたの人生を生きる。それでも、私たちは互いに働きかけ合う。
関わる。しかし、所有しない。
今の私には、それが、人と関わりながら自分の人生を生きるということの、一つの姿のように思えています。
















